東京高等裁判所 昭和30年(う)987号 判決 1956年5月30日
控訴人 被告人 永井兵蔵
弁護人 鍛治利一
検察官 小出文彦
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役拾月に処する。
原審における訴訟費用中、証人山口信一郎に支給した分を除くその余の二分の一、並びに当審における訴訟費用中、証人大河原一郎、同吉野精一に支給した分を除くその余は、これを被告人の負担とする。
公訴事実中、横領の点につき被告人は無罪。
理由
本件控訴の趣意は弁護人鍛治利一作成名義の控訴趣意書に記載されたとおりであるから、ここにこれを引用する。
控訴趣意第一点について。
原判決がその罪となるべき事実第二として、被告人が実弟永井広次及び自己の県税に係る滞納処分として群馬県事務吏員吉野精一から被告人所有に係る撚糸機三台、織機三台及び畳六枚の差押を受け、同人から右差押物件の保管を命ぜられてこれを占有中、その後二回に亘り擅に大河原一郎に対し、右撚糸機三台及び織機三台を売却したとの事実を認定しこれを各刑法第二百五十二条第二項の罪に問擬していることは所論のとおりである。よつて考察するのに、公法上の金銭債権たる地方税に係る滞納処分につき準用ある国税徴収法第二十二条第一項但書には、徴税吏員が動産を差し押えこれを滞納者をして保管せしめる場合につき「此ノ場合ニ於テハ封印其ノ他ノ方法ヲ以テ差押ヲ明白ニスヘシ」と規定するのに対し一般私法上の金銭債権に係る強制執行として執行吏が有体動産を差し押え、これを債務者の保管に任ずる場合につき、民事訴訟法第五百六十六条第二項後段には「此場合ニ於テハ封印其他ノ方法ヲ以テ差押ヲ明白ニスルトキニ限リ其効力ヲ生ス」と規定し、両者その立言を異にしているけれども、いずれも金銭債権に係る強制執行の手段たることにおいて差押の本質を同じくし、彼此その取扱を異にすべき特段の合理的根拠あるを認め難いところ、後者即ち民事訴訟法第五百六十六条第二項の場合につき、執行吏が目的物件に対し封印その他差押を明白にすべき方法を施行しなかつた場合においては、法律上差押は全然無効に帰し、債務者以外の者に対してはもとより、債務者自身に対してもその効力を生ぜず、目的物件の占有は依然債務者に属し、たとえ執行吏が債務者にその保管を託し、債務者がこれを承諾したとしても、これがためその差押が有効であつて該物件の占有は執行吏に帰し、債務者は刑法第二百五十二条第二項にいわゆる自己の物につき公務所から保管を命ぜられたものと言うを得ないから、債務者がこれを処分するも横領罪を構成しないとすることは、夙に大審院の判例(大正十年十月四日判決、大審院刑事判決録二七輯六二二頁参照)とするところであるから、後者即ち、県税その他の地方税に係る滞納処分に準用ある国税徴収法第二十二条第一項但書の場合についてもこれと同様に、たとえ徴税吏員において動産の差押を為す旨を告げて滞納者にこれが保管を命じ、滞納者がこれを承諾したとしても、封印その他の方法により差押を明白にしない限り差押は法律上無効であつて、滞納者がこれを処分するも刑法第二百五十二条第二項の横領罪を構成しないものと解するのを相当とする。然るにこれを本件について見るのに、各差押調書には、被告人が叙上の如く県税滞納金のため群馬県事務吏員吉野精一から、被告人所有に係る叙上機械類及び畳を差し押えられ、その保管方を命ぜられた旨の記載があるけれども、右徴税吏員吉野精一が被告人に右物件の保管方を命ずるに当り、封印その他の標識を施して差押を明白ならしめた事実は、右各差押調書の記載その他原判決挙示の証拠はもとより一件記録及び当審における事実取調の結果に徴するも、これを確認するに足りないので、右差押の効力はこれを認めるに由がないものと言わねばならない。果して然らば、被告人が徴税吏員から保管を命ぜられた差押物件を、擅に売却して横領したとする本件公訴事実は結局その証明なきに帰し、被告人に対しては、無罪の言渡を為すべきであるに拘らず、原審が被告人の所為を刑法第二百五十二条第二項の横領罪に問擬したのは、同条項の解釈適用を誤つたか、又は事実を誤認した違法があるものであつて、この瑕疵は判決に影響を及ぼすことが明らかである。論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。
(その他の判決理由は省略する。)
(裁判長判事 三宅富士郎 判事 河原徳治 判事 遠藤吉彦)
鍜治弁護人の控訴趣意
第一点原判決は其理由において「第二、被告人永井兵蔵は実弟永井広次の昭和二十四年度における群馬県税である家屋税外四税の滞納金一万五千四百五十円及び自己の同年度における同県税である家屋税外七税の滞納金六万四千八円の為昭和二十五年二月二十八日群馬県事務吏員吉野精一より永井広次分として被告人所有に係るイタリー式撚糸機三台(但一台六十睡)被告人分として被告人所有に係る村田式鉄製大巾織機三台畳(厚床)六枚の差押処分を受けた右吉野精一より右各差押財産の保管を命ぜられ保管していたものであるが、(一) 群馬県甘楽郡富岡町大字富岡千二十三番地の自宅に於て大河原一郎に対し昭和二十六年二月頃右保管していた差押財産中右撚系機二台及び右織機三台を擅に売渡し、(二) 更にその翌日頃同所に於て同人に対し右保管していた差押財産中右撚糸機一台を擅に売渡して各横領したものである」とし、刑法第二五二条第二項を適用処断した。しかし、同項の横領罪が成立するがためには、自己の物ではあるが、公務所より保管を命ぜられた場合に之を横領することを要する。而して公務所より保管を命ぜられた場合とは、その要件を具備した有効なものであることを意味するのであつて、その前提要件を欠いた単なる保管の命令は無効であるから、保管義務は生じない。蓋し公務員が国民に命令し、これに対して義務を負担せしめるには法律の根拠を要するのであつて、法規に適合しない命令によつて国民に義務を課することは許されないからである。
判示物件は動産であり、県税の滞納処分として差押を為したものである。而して動産の差押は収税吏員が其物を占有してこれを為すのであり、此場合には収税吏員は事実上の支配を継続するから、滞納者(債務者)の占有物を取上げて自己の占有に移すと同時に、法律上差押の効力を生ずるけれども、差押物件の運搬をするのに困難あるため、例外として、滞納者に保管を為さしむるときは封印其の他の方法を以て差押を明白にしなければならない(国税徴収法第二二条第一項、旧地方税法二四条第一項)。これは差押についての基本法則であり民事訴訟法第五五六条も「債権者の占有中に在る有体動産の差押は執行吏其物を占有して之を為す、其物は債務者の承諾あるとき又は其運搬を為すにつき重大なる困難あるときは之を債務者の保管に任すべし此場合に於ては封印其他の方法を以て差押を明白にするときに限り其効力を生す」と規定している。故に収税吏員が直接目的物を占有せず滞納者其他の者に保管を託する場合には封印其の他の標識を施す方法によつて差押物若しくはその範囲を明白にすることを要し、この差押の形式は差押の成立要件でこれを欠くときは、執行行為(滞納処分)として単に無効であるのみならず、不成立である(兼子一教授、強制執行法増補第三版一七七頁)。けだし、差押は債務者(滞納者)の特定財産に対し有する処分権を奪い、国家又は公共団体に収納する執行機関の権力的行為であるから、その要式は厳格且つ明確でなければならないからである。法律上差押が全然無効であるから第三者に対してのみならず債務者(滞納者)に対しても差押の効力を生ぜず、従つて差押目的物の占有は依然として債務者に属するものであつて、収税吏員より債務者に保管を託し債務者が之を承諾したとしても、その為に其差押が有効で当該動産の占有は収税吏員に帰し、債務者は刑法第二五二条第二項に所謂公務所より自己の物に付き保管を命ぜられたるものと云うを得ない(大正十年(れ)第一一〇〇号同年十月四日大審院判決刑録二七輯六二二頁。大正十五年(れ)第九五三号同年十一月二十六日大審院判決刑集五巻五五四頁)
本件をみるに、判示差押について、差押の目的物に対し封印其の他の標識を施す方法により差押を明白にする行為をした事実は全然存しないのである。また、小山正三作成の告発書には(五九〇丁)「一、被告発人は昭和二十四年度県税家屋税外四税滞納額壱万五千四百五拾円のため昭和二十五年二月二十八日群馬県事務吏員吉野精一のため滞納者永井広次所有に係るイタリー式撚糸機参台の差押を受け之を被告発人は保管を命ぜられ保管して来り。二、被告発人は昭和二十四年度県税家屋税外七税滞納額六万四千八円のため昭和二十五年二月二十八日群馬県事務吏員吉野精一のため滞納者本人所有に係る村田式大巾織機参台厚床六枚の差押を受け当日之を被告発人は保管を命ぜられ保管して来た」とあるに止まり、その添付書類たる差押調書写にも、封印其の他の標識を施した事実は見出せないし、証拠の標目に掲げられた他の証拠を検討するも同様である。然らば判示差押は封印其の他の標識を施して差押を明白にする方法を施さなかつたのであるから、仮令被告人に保管を命じたとしても法律上差押は全然無効であり、判示物件は依然として単純なる被告人の占有に属し、刑法第二五二条第二項に所謂、公務所より自己の物に付き保管を命ぜられたものでないと云わねばならぬ。故に被告人が判示物件を売却したとしても同条項の横領罪を構成しないのである。然るに原審が被告人を同条項の横領罪として処断したのは法律の適用を誤つたものであると共に、理由不備の裁判であり破棄を免れないと信ずる。
(その他の控訴趣意は省略する。)